―― 越前幸若舞 目次 ――
1 初代幸若舞太夫は桃井直詮(1393-1470)
[1]《幸若太夫先祖は太平記の武将桃井直常》
[2]《幸若太夫初代桃井直詮の経歴》
[3]《幸若太夫桃井直詮の肖像画》
2 初期の幸若舞(1442年〜)
[4]《都を中心に舞われた幸若舞》
[5]《宮中当番女官の日記の中の幸若舞記事》
3 戦国武将と幸若舞
[ 6]《陶スエ道麒・大内義隆と幸若舞》1529・1551年
[ 7]《越前福井朝倉孝景出陣時の幸若舞》1534年頃
[ 8]《織田信長、桶狭間決戦前に幸若舞》1560年
[ 9]《中国地方の毛利元就と幸若舞》1566年
[10]《武田信玄が織田信長幸若舞情報収集》
[11] 《信長・秀吉が幸若大夫家に朱印状1574〜年》
[12]《織田信長が越前豊原寺で幸若舞鑑賞》1575年
[13]《幸若舞と家康が嫡男信康を思う逸話》1579年
[14]《家康高天神城戦での幸若舞と首実検》1581年
[15]《信長の安土城での幸若舞と能の競演》1582年
[16]《本能寺変前夜、堺の家康幸若舞鑑賞》1582年
[17]《豊臣秀吉、小田原征伐で幸若舞鑑賞》1590年
[18]《秀吉、幸若大夫に手柄話作曲を命じ》1594年
[19]《山科言経の『言経卿記』中の幸若舞》1597年
[20]《藤堂高虎邸で防御に当つた幸若太夫》1599年
[21]《関ヶ原の戦の年の幸若舞》1600年
[22]《家康徳川幕府を開いた時の幸若舞》1603年
[23]《1605年幸若幕府音曲役・女院御所で幸若舞》
[24]《幸若太夫従者が越前へ逃亡事件起す》1610年
[25]《毛利輝元、家臣に舞修行に越前派遣》1612年
[26]《家康と幸若舞三人の法師武者の逸話》1614年
[27]《1615年江戸幕府二代将軍徳川秀忠と幸若舞》
[28]《1616年家康死去・お江の方と幸若舞1625年》
「戦国大名たちと舞太夫」
「越前幸若舞YouTube」<越前町幸若文化情報センターから参照>
「紙芝居「幸若舞」(動画参照)」
「地元の山口先生「幸若舞」を語る(動画参照)」
「面白い話(幸若太夫の旅の出来事)」
「明治文学・歴史物語「江戸城(幸若の舞)」
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[1]《幸若舞太夫先祖(ブリタニカ国際大百科事典)》
桃井幸若丸とは、幸若舞の始祖と伝えられる桃井直詮の幼名。系譜によると,南北朝時代の北陸の武将桃井直常の孫で,父の死後,親族である叡山光林房の詮信のもとに預けられ,修行中草紙類に節をつけて歌ったのが幸若舞の始りといい,幸若舞の名称は幸若丸をとったと伝えられる。